安保法案は違憲なのか?何故反対派は違憲!!違憲!!と騒ぐのか?
9条を素直に読めば自衛隊は違憲。憲法学者の半数近くは自衛隊を違憲として扱っている。

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憲法9条

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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しかし、守ってくれるものがないと国民は不安。日本が急迫不正の侵害を受け、助けてくれる人も他の手段もなければ、必要最小限度の反撃は、国民感情として認めうる。

こういった自衛隊が合憲とされるぎりぎりの許容範囲を示したのが、1972年の政府見解。

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2014(平成26)年7月1日の閣議決定

憲法第9条はその文言からすると、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えますが、憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」や憲法第13条が「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条が、わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されません。

一方、この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容されます。

これが、憲法第9条のもとで例外的に許容される「武力の行使」について、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、1972(昭和47)年10月14日に参議院決算委員会に対し政府から提出された資料「集団的自衛権と憲法との関係」に明確に示されているところです。
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今までは、具体的な法案を作ったり、措置を取ったりする時、憲法との整合性はどうかと考えた。内閣法制局がその整合性を精査した。

しかし、安倍総理は内閣法制局の人事をいじると言う禁じ手を使ってきた(笑)

法の番人である内閣法制局は、「集団的自衛権の行使は憲法上認められない」という憲法解釈を守ってきた。
にもかかわらず、安倍晋三首相は内閣法制局の人事に手を入れると言う禁じ手を使った。安倍総理に送り込まれた小松一郎長官(当時)が解釈を変更し、集団的自衛権の行使を可能とした。

専守防衛から180度の大転換。

本来は先に憲法改正を行ってから、法案を提出すべき。

それを、内閣の一部局の解釈変更で法案審議が始めて憲法は骨抜きにした(笑)


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内閣法制局設置法2条1項は、「内閣法制局の長は、内閣法制局長官とし、内閣が任命する」と規定している。通常の人事慣行としては長官は第一部長、次長を経験した人が任命される。

小松長官の外務省入省以降の主な職歴
  • 同省条約局法規課長
  • 同局条約課長
  • 同省欧州局長
  • 同省国際法局長
  • スイス国兼リヒテンシュタイン国駐箚特命全権大使
  • フランス国兼アンドラ国モナコ国駐箚特命全権大使
  • 内閣法制局長官
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今後、安保法案が与党の賛成多数で可決されても、その後は違憲訴訟が多発することが見込まれる。法曹界では安保法案は違憲という考えが圧倒的に多い。

安保法案が合憲とする主張は以下のようなもの

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「抑止力を高めて国民の命と平和な生活を守る」高村副総裁 平和安全法制 
http://blogos.com/article/114097/ 

(集団的自衛権の行使と立憲主義の関係について) 

憲法の番人である最高裁が自衛権について下した唯一の判決というのは、 いわゆる昭和三十四年の砂川判決でありますが、その砂川判決においては、 国の存立を全うするための必要な自衛の措置はとり得ると言っています。 必要な自衛の措置のうち個別的自衛権はいいが集団的自衛権はだめだなんて、 一言もそこの中では言っていないわけであります。 

中には、あのころの裁判官の頭の中には集団的自衛権なんというものはなかったなんて失礼なことを言う人もいますが、判決本体の中にはっきり、国連憲章は個別的自衛権と集団的自衛権を各国に与えていると書いてあるんです。 そして、その上で、さらに、一見明白に違憲でない限り安全保障法制については内閣と国会に委ねる、こういうふうに書いてあります。
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 「最高裁の論理踏まえて」 違憲の考えに谷垣氏反論(テレビ朝日、2015年6月5日) 
http://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000051948.html 

安保法制を巡り、3人の憲法学者が「違憲だ」という考えを表明したことについて、 自民党の谷垣幹事長は「最高裁の基本的論理を踏まえて法案をつくった」と反論しました。 

自民党・谷垣幹事長:「憲法の有権解釈を決めるのは最高裁判所でありますから、 最高裁判所の基本的論理は踏まえて、今までこの(安保)法制をつくってきた」 

谷垣幹事長は、「最高裁、砂川判決の論理は、国民の生存と国の存立が危うくなる場合に何もできないはずがないという基本的考えに立っている」と指摘し、今回の安保法制が「違憲だ」という意見に強く反論しました。 
また、安保法制を巡る与党協議の中心を担った自民党の高村副総裁は、 「1954年の自衛隊創設時にもほとんどの憲法学者が憲法違反と言っていた」と指摘して、 自衛隊を違憲としない現状を踏まえて国民に丁寧に説明することで法整備に理解を求めていく考えを示しました。 
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さらに、違憲派は以下の通り

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砂川事件弁護団 再び声明 合憲主張「国民惑わす強弁」 

2015年6月13日 朝刊 

 他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法案について、政府が一九五九年の砂川事件の最高裁判決を根拠に合憲と主張しているのに対し、判決時の弁護団の有志五人が十二日、東京都内で会見し、 「裁判の争点は駐留米軍が違憲かに尽きる。判決には集団的自衛権の行使に触れるところはまったくない」とする抗議声明を出した。 五人はみな戦争を知る白髪の八十代。「戦争法制だ」「国民を惑わすだけの強弁にすぎない」と批判し、法案撤回を求めた。 (辻渕智之) 

 「集団的自衛権について砂川判決から何かを読み取れる目を持った人は眼科病院に行ったらいい

会見の冒頭。新井章弁護士(84)は眼鏡を外し、鋭いまなざしを子や孫世代の記者たちに向けた。そして「事件の弁護活動をした私らは裁判の内容にある種の証人適格を持っている」と法律家らしく語り始めた。 
 
自民党の高村正彦副総裁は十一日の衆院憲法審査会で判決に触れた。「わが国が、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」という部分だ。これを根拠に、政府は判決が集団的自衛権の行使を否定していないと主張している。 しかし声明では「『わが国が、自国の』とする文辞からも文脈からも個別的自衛権を指すことに疑問の余地はない」と断じた。 

 新井弁護士は横畠裕介内閣法制局長官が十日の衆院特別委で「判決は集団的自衛権について触れているわけではない」と認めた発言にも言及。 
 
「高村氏らは実にアクロバチックでむちゃな読み方で、ふらちな拡張解釈をしている」と評した。 

判決時、最高裁長官だった田中耕太郎氏(故人)は補足意見で「自衛はすなわち『他衛』、他衛はすなわち自衛という関係がある」と述べた。 内藤功弁護士(84)は「集団的自衛権の言葉はなく、法律論としても構成していない。集団的自衛権を容認すると読める余地はない。 『集団的自衛権の行使は許されない』と結論づけた一九七二年の政府見解は、砂川判決も十分精査した結果だ」と主張した。 
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まとめると

反対派(安保法案は違憲)

・1972年の政府見解⇒集団的自衛権は認めていない。
・1959年の砂川判決⇒「集団的自衛権」については言及なし。


賛成派(同、合憲)

・1972年の政府見解
・1959年の砂川判決⇒最高裁で「自衛権」を明確に認めた。集団的自衛権はだめだなんて、 一言もそこの中では言っていない
・憲法前文「国民の平和的生存権」
・憲法第13条「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」




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EDITORIAL/社説―砂川判決
2015年7月21日18時57分

 
■Top court should address doubts on dodgy Sunagawa Incident ruling:

The Supreme Court is called the guardian of the Constitution. The fairness of the judiciary is based on the top court’s independence from the administration, the legislature and, of course, foreign governments.

This basic principle may have been violated by what happened behind the scenes half a century ago. But what actually took place remains unknown.

The suspicion concerns the relationship between the U.S. government and a Supreme Court chief justice who was behind a 1959 landmark ruling on the so-called Sunagawa Incident.

The former defendants in the case have requested a retrial, and the Tokyo District Court is expected to make its decision on the request shortly.

The judiciary should examine the historical facts concerning the issue on its own to set the record straight and answer the doubts among the public.

In 1957, seven people, including students, who were protesting the expansion of the U.S. Tachikawa base in western Tokyo, were charged with entering the base in violation of a special criminal law connected with the Japan-U.S. Security Treaty.

Two years later, amid growing public opposition to the proposed revision to the bilateral security treaty, the Tokyo District Court found the seven not guilty on grounds that the presence of U.S. military forces in Japan violated Article 9 of the Constitution.

Nine months later, however, the Supreme Court unanimously overturned the district court’s ruling and remanded the case to the lower court.

The top court decision set the precedent for the legal concept known as “governing act theory,” which claims the judiciary should avoid passing legal judgments upon highly political issues, such as the Japan-U.S. Security Treaty. This theory has had strong influence on subsequent court rulings in Japan to this day.

From 2008 onward, revelations emerged that cast doubt over the legitimacy of the top court’s ruling on the Sunagawa Incident.

The U.S. National Archives and Records Administration released official telegrams that Douglas MacArthur II, the U.S. ambassador to Japan, sent to Washington at the time. According to the cables, then Supreme Court Chief Justice Kotaro Tanaka met with the U.S. ambassador and other officials before the ruling was handed down and provided them with information about the trial.

It is easy to imagine how the district court ruling that declared the presence of U.S. forces in Japan to be unconstitutional was inconvenient for both the Japanese and U.S. governments, which wanted to revise the security treaty.

According to the cables from the U.S. Embassy, the chief justice told the U.S. ambassador that the district court ruling had been misguided and that he hoped to reach a unanimous decision among all the 15 justices on board, preventing the writing of any dissenting opinion that could potentially divide public opinion.

A senior Japanese government official may also have been involved in the efforts to influence the top court’s decision.

One document said the ambassador met with then Foreign Minister Aiichiro Fujiyama the day after the district court ruling and stressed the importance for the Japanese government to take action to “rectify” the ruling.

In a totally understandable move last year, some of the former defendants in the case and the families of those deceased requested a fresh trial, claiming the original trial was not fair.

Although the telegrams reflect the views of the diplomats involved, the behavior of the chief justice and the foreign minister as described by the cables raise suspicion that not only the vital principle of judicial independence but also Japan’s sovereignty itself was forgotten.

This is an episode that cannot be casually dismissed as something that happened at a time when Japan was still reeling from its devastating defeat in World War II and the subsequent occupation by the United States and its allies. It has significant implications for today’s Japan.

The governing act theory established by the Supreme Court ruling on the Sunagawa Incident has continued to be a thick wall that thwarts legal attempts by people to seek redress for damages they have suffered because of U.S. military bases.

In addition, the administration of Prime Minister Shinzo Abe has cited the Sunagawa Incident ruling to support its argument that national security legislation it is trying to enact during the current Diet session is constitutional.

Now, it is vital to clarify the historical facts behind the ruling.

Debate concerning the Constitution is gaining traction. To win the trust of the people, the Supreme Court should confront this dark chapter of its postwar history.

--The Asahi Shimbun, July 21

     ◇

 最高裁は、憲法の番人と呼ばれる。行政から、立法から、そして言うまでもなく外国政府から独立した存在であることが、司法の公正さの礎である。

 ところが半世紀前、その原則を揺るがす出来事があった疑いが今も未解明のままだ。「砂川判決」の背後にある米政府と最高裁長官との関係についてで、当時の被告が裁判のやり直しを求めた審理が終盤を迎えた。

 司法は自ら史実を検証し、国民の疑念にこたえるべきだ。

 1957年、米軍基地の拡張に反対するデモの学生らが、刑事特別法違反に問われた。

 2年後、日米安保条約の改定を前に世論が盛り上がるなか、東京地裁は「米軍駐留は憲法9条違反」として無罪を言い渡した。だが9カ月後、最高裁は破棄し、差し戻した。

 日米安保条約のような高度に政治的な問題について司法は判断しない。いわゆる「統治行為論」を最高裁判決は打ち出し、今も重い影響力をもっている。

 この判決をめぐる疑義が明るみに出たのは2008年以降。裁判当時の田中耕太郎最高裁長官が駐日米大使らと判決前に会い、裁判の情報を伝えていたとの米政府の公電が公開された。

 条約改定を進めたい日米両政府にとって「米軍駐留は違憲」との一審判決がいかに不都合だったかは、想像にあまりある。

 米大使館の公電によると、大使に対し長官は一審判決は誤っていたとし、最高裁では全員一致で判決して「世論を乱す少数意見」は避けたい、との望みを語った。

 政府高官も無関係ではない。一審判決の翌朝、外相に会った大使が判決を「正す」重要さを強調したとの文書もある。

 「公平な裁判を受けられなかった」と被告や遺族が昨年、再審を請求したのは当然だろう。

 公電は外交担当者の見方によるものとはいえ、複数の公電が伝える長官と高官らのふるまいは、司法の独立だけでなく、国家の主権すら忘れ去られていた疑念を抱かせる。

 それは敗戦の影が色濃く残る往時の出来事とは決して片付けられない現代の問題である。米軍基地問題の訴訟をめぐり、統治行為論は、住民被害の救済を阻む壁であり続けている。

 さらに安倍政権は、今国会での成立をねらう安保関連法案の合憲性の根拠として、砂川判決を挙げた。その歴史的検証はいよいよ不可欠である。

 憲法をめぐる議論は活発になっている。国民の信頼を得るには、最高裁はこの歴史の暗部から目を背けてはならない。